旅を想う
2019.06.28
こんにちは!社会科の伊藤です。
先日までの晴天から打って変わって今週末からしばらく雨模様が続くようですね。
季節外れの台風も接近しています。
水不足は解消されそうですが、西日本では豪雨災害も心配です。
さて、先日のお休みを利用して、東美濃の恵那を訪れました。
今回はその続きです。
恵那を後にして、そのまま向かったのは、長野県南木曽町の妻籠宿です。
妻籠宿は江戸の長きにわたり中山道の宿場町として栄えた場所です。
その歴史情緒あふれる町並みが今も保存されており、訪れる人々に静かな感銘と癒しを与えてくれる古き良き日本を象徴する観光地となっています。
かつて多くの旅人がこの地を訪れ、心と身体の疲れを癒し、次の旅路への活力を養っていたのだと思うと、何だか感慨深いものがあります。
今では交通が非常に便利になって、自動車や新幹線、飛行機など
遠い所ほど、時間的には早く行けるような時代になりました。
しかし江戸時代といえば、普通の人々が旅で頼るものと言えば自分の足一つという時代です。
相当な苦労があったと思う反面、道中の風景や人との関わり合いなどに今では到底味わえないような風情も同時にあったのではないかと思います。
人類は豊かさや便利さを求めて知識や技術を発達させてきました。
そうして現在の社会があります。
その発達は当然、人類にしか成しえない「進化」であるし、その恩恵なしには今の私たちの暮らしは成り立たないのも事実です。
しかし、手に入れたものが大きい反面、失ってしまったものもまた大きいのではないでしょうか。
物質的な豊かさを一心に追い求めて、本当に人間は幸せになれたか。
人間の欲はエンドレスです。
そのことに気づき、外部的な満足ではなく、誰かと比較することなく自分の内部を拠所とする知足に至ることこそが幸せなのだと思います。
私たちが知らず知らずのうちに失ったもの、「進化」の代償として目を向けてこなかったもの、そのようなものの価値を再度見つめ直すことも、人間の幸せのためには必要ではないかと古き時代と美しい自然に思いを馳せながら、考えていました。