歴史の教訓
2019.06.18
こんにちは!社会科の伊藤です。
先日梅雨入りした愛知県ですが、
昨日は本当に梅雨がどうか
疑いたくなるほどの好天でしたね。
湿度も気温も高い日が多いです。
体力を奪われやすい時期なので、
体調管理、熱中症対策には気を付けたいですね。
さて、各校舎で定期テスト対策が行われ、
塾生の皆さんは勉強に勤しんでいると思います。
多くの中学校の今回の中3社会の試験範囲には、
第二次世界大戦や太平洋戦争が
含まれているのではないでしょうか。
人類史上初めて、
1945年8月6日に
広島に原子爆弾が投下されたということも
勉強したことと思います。
ここは人類の負の歴史を象徴する
最たる単元の1つであり、
決して面白い内容ではないはずです。
しかし、むしろそのような単元だからこそ、
学ぶ意義は大きいのだと思います。
タイムリーな内容というのもあり、
先月の月末休講で広島に帰省した際、
久しぶりに原爆ドームを訪れて、
改めていろいろなことを考えました。
何百年、何千年前の話ではく、
人類の歴史の中から見れば
ほんの一瞬に過ぎないような数十年前に、
そのような出来事があり、
実際に日本もその当事者であったこと。
人間の欲や怒り、愚かさが、
世界や社会を狂わせ、破滅に導くという事実。
そして、そのことを直視して反省し、
絶望的境地からも立ち上がることができる
人間の偉大さや尊厳など。
テストで点を取る為という
枠組みを超えて、歴史を学ぶ意義というのを
少しでいいので考えてみてほしいと思います。
人間は愚かな生き物です。
しかし、その愚かさに向き合い、
自分に何ができるか、何をすべきか、
何がしたいかを考え、
よりよい在り方に自らを導いていくことができる
理性をも同時に持ち合わせている存在です。
近現代史を学ぶ意義、
そこから得られるものというのは
とても大きいのだと思わざるを得ません。
ぜひ、皆さんにも
記憶するだけ、問題を解くだけ、
という段階の一歩先を行って、
そこから自分は何を感じたか、
考えたかを意識してみてほしいと思います。
本来、学校の勉強は無味乾燥なものではありません。
同じ勉強に対して、
自分がどのような意味づけをするのかによって、
大きく変わってくるはずです。
そのような視点からも
物事を見てみてもらえれば嬉しい限りです。