日本遺産 第一号
2019.08.19
こんにちは!社会科の伊藤です。
あっという間に夏期休講も終わり、夏期講座後半戦が始まりました。
夏期休講中はゆっくり過ごすことができましたか。
お休みの日の過ごし方は人それぞれだと思います。
どこかへ出かけるも良し、家でゆっくりするも良し。
自分なりの休息方法を見つけ、心身の英気を養い、普段の頑張りにつなげられると良いですね。
さて、伏見稲荷大社、姫路城と有名どころの観光地を訪れた後、最終目的地である広島に向けてまだまだ旅は続きます。
姫路を出た後、そのまま広島に向かってもよかったのですが、それでは何となくもったいないような気がします。
広島に着くまでに、もう1か所くらいはどこかに行ってみたいと思いながら車を走らせていると、岡山県の東部、備前市を走行中に「特別史跡 旧閑谷学校」なる標識を発見。
時間的にもまだ余裕があったので、気の向くままに立ち寄ってみました。
旧閑谷学校は、1670年に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。
日本近代化の原動力になったことが評価され、「日本遺産第一号」に認定されました。
敷地内には、鶴鳴門とよばれる校門や、国宝にもなっている講堂、教師と生徒の休憩室として使われた飲室などさまざまな建物が残っています。
周囲を山々に囲まれ、近くには清流が流れ、静かで落ち着いた美しい場所です。
おそらく江戸時代もそうだったのでしょう。
1666年にこの地を視察した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛し、この地に地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたそうです。
その後、この学校の永続を願う家臣の津田永忠が、およそ30年もの年月を費やして、現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させました。
この閑谷学校での教育は、習字と論語の2つです。
朝7時頃から勉強が始まり、昼の休憩時間以外、夜まで基本的にずっと勉強していたそうです。
入学試験はなく、また他の藩からの入学も受け入れていました。
生徒は住み込みでこの地で勉学に励み、卒業後は地元のリーダーになったり、またこの地に残って先生になる者もいたようです。
講堂は、十本のけやきの柱で支えられた内室と、その四方を囲む入側とで構成されています。
拭き漆の床はよく磨かれており、外の光が柔らかく反射し、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
この場所で、今から300年以上も前に、志を持つ一般の人々が勉学に励んでいたと思うと、なんだか感慨深いものがあります。
学問とは、自分の為に自ら進んで行うもので、自らの身を助け、他の人々を導くものであるのだと思います。
その意味では、決して押し付けられてするものでも、役に立たない無味乾燥なものでもありません。
当時の人々は、そのことをよく理解して勉学に励んでいたのではないかと思います。
我々現代人が忘れがちな、学ぶことの意義について改めて考えさせられました。
美しい青空と長閑な風景を写真に収め、閑谷の地を去りました。
あとは広島を目指して西へ西へと進むのみです。
旅はまだもう少し続きます。